自費出版:グラフィック系
自費出版:文章系

業界紙に掲載されました!

業界誌「グラフィックサービス」(日本グラフィックサービス工業会発行)の7月号に、私の文章が掲載されました。

事例発表というか内情をかなりオープンに書いてしまったため、本部の方も良い意味で驚かれていましたが、発刊後も同業者の方から「とても参考になった、おもしろい」などの声をいただき、講演依頼やなんと絵本の相談までいただくこととなりました。

以下、掲載された文章です。

 

やるしかない!新しいビジネスモデルへの挑戦!
~ネットを活用し全国から自費出版の受注を目指す~

リーブル(高知県支部)
取締役/企画営業部長/出版事業部長 坂本圭一朗

●新連載スタートにあたって(編集部)
印刷需要が低迷し、価格競争が激化する経営環境の中で、いかにして利益を得ればいいのかと我々は日々悩んでいる。

業態変革や自社の強みの見直しが求められているが、実際、会員企業はどのようにして活路を見出そうとしているのだろう?

ジャグラ作品展の応募企業を見てみると、各社各様、様々な思いを持って印刷物を製作し、顧客のニーズに応えている姿が見えてくる。

本誌ではこれまで、大臣賞受賞社だけに受賞作品製作の秘訣を伺ってきたが、それ以外の応募作品のなかにも、会員企業の参考となる事例がたくさんあることから、「需要創出を考える」というテーマで新連載を開始することにした。
第一回目の原稿をお願いしたのは高知の㈱リーブルさん。

これまで作品展において大臣賞を2 度受賞し、今回も「優秀賞」を受賞している。優秀賞は審査会における得点が部門1 位であるけれども、大臣賞の連続受賞を避けるため設けられた賞である。

今回は受賞作製作の秘訣に留まらず、同社が手掛けた出版物がAmazon 書店でとても売れているという情報を得たので、それらの事例も含めた出版ビジネスへの取り組み方を披露していただいた。

 

弊社は、昭和40年 に「高知県軽印刷株式会社」として創業しました。

一社員であった新本勝庸は、先代社長が病気で倒れた際に自分が後を引き継ぐしかないと決意し、昭和59年に二代目の社長に就任しました。

本が大好きで、名前の通り「新しい本」を作る出版社を夢見ていた新本は、平成7年に社名を「リーブル」(フランス語で「本」という意味)に変更し、自費出版事業を立ち上げました。

当時は印刷の受注先が官公庁主体であったため、閑散期となる夏場に仕事がなくならないようにという思いもあったようです。

 

出版物は自分史や句歌集、闘病記、戦争体験記などの文章中心でしたが、デザイン部を設立し、4色機を導入した頃から写真集や画集・絵本などの受注も少しずつ増えていきました。

また、幻冬舎の自費出版部門「幻冬舎ルネッサンス」(現「幻冬舎ルネッサンス新社」)と6年間ほど提携し、全国書店への配本を希望する著者の方には同社の名前で全国に出版する時期もありました。

このとき幻冬舎ルネッサンスからアドバイスされた編集・校正等のノウハウや大手商業出版のベストセラーの作り方などの販売手法は今も弊社の財産の一つになっております。

 

しかし、私が入社した平成18年にちょうど高知県の印刷物の電子入札が始まり、そこから印刷物の受注価格はどんどん下がり、受注先のメインであった官公庁の仕事が減っていきました。

また、一般企業や団体が印刷の内製化を進めていったことも受注減に追い討ちをかけました。

受注先を増やそうと、4色機を持っていない県外の印刷会社などに「御社の印刷工場になります」と銘打ってDMを送付し、比較的安価な下請け価格での受注増を図りましたが、やはり資本力と大型設備のある「インターネット印刷」の破壊的な価格には到底勝負することができなくなっていきました。

当時30代半ばであった私は、異業種交流会やデザイン広告関係の会などで得たつながりを活かし、広告代理店やデザイン事務所、NPO団体の仕事などを新しく受注するようになりました。

そして、官公庁型から民間型へシフトするにつれ、「言われたとおりに納期に納めればよい」仕事から、納期はもちろん「提案」「高品質」が求められるようになりました。

そのころ私自身が社長から学んだことの一つは、「営業は、お客様にとって何が本当に一番いいのかを一生懸命考えるのが仕事だ」ということです。

実際に、社長はチラシ作成を依頼しにきたお客様に対して「お話を聞いていると今回はチラシではなく雑誌広告の方がいいですね」など、たとえ自社の利益は減ってもお客様にとって一番よいと思う方法を提案している真摯な姿をたびたび目の当たりにしました。

 

そのような社長の下で、中には社長よりも「提案」「高品質」にこだわる社員が現れるようになりました。

デザインコンペでラフどころかほぼ完璧なデザインを作り込んでデザイン事務所や広告代理店を打ち負かしたデザイナーや、印刷技法・インキ・紙の研究を重ね常にお客様の期待以上の発色を実現しようとする印刷オペレータ、入った原稿を半分近くも削り著者にリライトを依頼していい本を作ろうと奮闘する編集者など、それぞれの「いい仕事をしたい」「いいものを生み出したい」という熱い想いがほかの社員にも伝播し、お客様の納得いくまで何度でも装丁案を提出する、細心の注意で色補正をする、内容や雰囲気に合わせて最適な用紙を提案する、細部の文章表現にもこだわる、など「高品質」「提案」そしてそのための「チャレンジをあきらめない」という企業風土が培われていきました。

 

そうして、出版の方では、社長の新本が理事を務めていた環境保護団体のつながりで県外のNPO・NGO団体等から広報誌や出版の仕事が増え、弊社の対応や編集・デザイン・印刷のクオリティが高いことが少しずつ評判になっていきました。

高知県内の印刷がジリ貧のような状況になりつつある中で、やはり出版に特化し、そして「インターネット印刷」のように「インターネット出版」のホームページを作ることができれば全国から受注が図れるのではないかと考え、助成金活用(経営革新計画申請)も含めて商工会議所に相談することにしました。

まさにちょうどそのとき、平成24年度のジャグラ作品展において弊社の絵本「ひかるもの」が出版印刷物部門で経済産業大臣賞をいただきました。

これは通常の4色印刷では再現できない鮮やかな色を再現した弊社の印刷技術を高く評価していただいたのです。

この賞のおかげで大きな自信と勇気をいただき、自社の特徴やアピールポイントも大変明確になったため、新ホームページ作成への大きな弾みになりました。

今でも本当に感謝しております。
そして、商工会議所の優秀な指導員の方にアドバイスをいただきながら、自社の強みや特性、競合他社の状況などをもう一度分析し、社内でも話し合いを重ねました。

見えてきたのは「高品質かつリーズナブル」というキーワードでした。

自費出版は大きく分けると2つ。

大手出版社の「高品質ではあるが、そのぶん高額」な自費出版と、一般印刷会社の「安価ではあるが、決して品質が高いとはいえない」自費出版。

弊社はこの中間を狙おうと決めました。

そのころ若手経営者の全国大会で聞いた言葉もまさにその通りでした。

「どんな業種でも必ず勝負できる『中間領域』というものがある。中小企業でも自社の強みを突き詰めて行けば、決して価格競争に巻きこまれないだけの付加価値をつけることができる。」

ということです。

 

しかし、ホームページ制作やネット受注の経験がない中で、どうホームページを作っていくかについては課題が山積みでした。

半年後のリニューアルに向けて時間もないため、社員の協力を得るために全員で話し合いました。

社員からは「既存事業(印刷)はたしかに将来性があるか不安だが、新規事業(ネット出版)が本当にうまくいくのか」「既存事業がなくなってから取り組んでは遅いということも分かるが、今は既存事業で忙しく協力できない」と本音の意見が飛び交いました。

これは、小さな会社が現業をやりながら新規事業を始めようとするときに必ずぶつかる場面なのではないでしょうか。

結局、最後は社長が「印刷物の価格競争と受注減はどんどん加速する。今は『印刷8:出版2』だが、数年内に『印刷5:出版5』、目標としては今と逆の『印刷2:出版8』までいかないと会社自体が生き残っていけない。そのために一日でも早く新ホームページを完成させることを最優先事項にしよう。みんな協力してほしい。残り半年は売上が少し下がってもいい。現業のデザインの仕事も外注して構わない」と決断しました。

それからは、主要メンバー数人が作業に没頭する時間を捻出するため週2日は現業をストップし、社内では集中できないため貸会議室などにこもりホームページ制作に徹底的に取り組みました。

また、経営革新塾やネットの勉強会にも参加し、お客様に安心感を与え、困りごとを解決するようなホームページ作成などを学び内容を固めていくとともに、資料請求用の資料作成なども同時並行で進めました。

半年後、平成24年の年末に不完全ながらも待望の新ホームページが完成しましたが、4か月間は受注ゼロ。

お客様の目線で見れば見るほど改善点が次々に見つかるので、とにかくあきらめずに、不足している情報を追加したり不親切なページを改善する作業に引き続き没頭する日々が続きました。

しかし、「グーグルの神様」がどこかで見ているのか、更新をサボれば問い合わせも減りますが、逆に更新や改善を重ねるほど問い合わせや受注も少しずつ増えていきました。

平成25年の一年間はメールや電話での対応を社長一人で行っていましたが、翌26年からは文章系・写真集・絵本・画集それぞれのジャンルごとに対応を数人で分担しました。

みんなメールや電話での長いやりとりには不慣れなところもあり、顔の見えないお客様と心を通わせるのは大変難しいことでしたが、一人ひとりのお客様の想いに精一杯応え、いただいた原稿・素材の良さを最大限引き出していい本を作りたいという想いがお客様にも伝わり、結果としてご好評をいただいているようです。

昨年より出版事業部・EC事業部・品質管理部を新設し(部員は全員兼務ですが)、お客様に寄り添う真摯な対応とクオリティの高い本作りにこれまで以上に注力しております。
昨年ジャグラ作品展で再び経済産業大臣賞をいただいたことも追い風となってか、現在売上全体の4割がネットによる自費出版(書籍販売売上含む)になっております。

全国から素晴らしい内容の原稿や素材(写真・原画)が入ってくるようになり、出版社としての喜びを感じることが増えてきましたが、反面、クオリティに対する難しい要望も増え、悲鳴を上げる場面もたびたびあります。

この難しいご要望にどう応えていくかが今後の課題でもあります。ただ、今後も新しい課題から逃げずに解決策を探り新たな工夫・改善を積み重ねていくことが、また新しいノウハウの蓄積につながり、弊社の大きな強みになっていくだろうと確信しております。

 

一方、作った本をいかに販売に結びつけるかということも苦労しております。大手の出版社とは違い、大手取次店を介して多くの書店に配本したり宣伝したりすることが難しい中で、やはりAmazonは地方の出版社にとって大きな販売経路です。

最近ではビジネス小説『左遷社員池田リーダーになる』がAmazonの新着ランキング(経済・社会小説ジャンル)で1位になり、レビューを中心にネットでの口コミで評判になりました。

宣伝をしたから売れたというよりは、著者ご本人の「売りたい」という熱意に何としても応えたいという営業(担当者)としての「高品質」というべき想いがあったからこそ宣伝予算があまりない中で様々なアプローチに挑戦し、売れる結果となったようです。

電子書籍版は「社会・経済小説」ジャンルで池井戸潤さんなどの作品と並び今も上位にランクし続けております。

実現はしておりませんがテレビドラマ化の企画のお話もいただいております。内容は小説でありながら、読み進むうちに「会社は何のために誰のためにあるのか?」などを考えさせられ、自然に「リーダー論」や「経営論」が身につくビジネス書としても好評です。

 

実は、Amazonで累計3万部を販売している『不登校は1日3分の働きかけで99%解決する』という弊社の本があります。

これもレビューを中心にネットでの口コミで評判になり、Amazonの「いじめ・不登校」ジャンルで3年連続売上1位を記録しているのですが、本が売れていること以上に、不登校や子育てで悩んでいる方がいかに多いかということに驚くとともに、そのような方にとって「救いのバイブル」ともいえるような本を生み出せたことは出版社として大変誇らしくもあり、「本が世の中を変える」という可能性と使命をあらためて実感しております。

 

一昨年、奈良県東吉野村で「オオカミ絵本コンクール」が開催され、その最優秀賞作品『ぼく、ニホンオオカミになる!!』を昨年発刊しました。

東吉野村はオオカミが日本で最後に発見された場所で、村のPRも兼ねてコンクールが開催されたのですが、ネットを通じて弊社を知った東吉野村の担当者から問い合わせを受けコンクールの企画段階から弊社が携わり、一般の人にも投票してもらう審査方法などをアドバイスさせていただきました。

結果的に100点を超える応募作品が集まり、審査期間の展示会には村外から多数の来場者が訪れ盛況となり、絵本を通じた「高知と奈良の田舎同士のコラボ」が「地域おこし」につながることとなりました。

 

自費出版事業は、お客様がほとんど会社ではなく個人ということもありますが、自分たちの強みを生かして取り組んでいることもあって印刷と比べてお客様に喜んでいただける「顧客満足度」が非常に高く、そのことが弊社の一人ひとりの社員の働きがい(社員満足度)の向上にもつながっているように思います。

ネットを活用した自費出版事業への取り組みが「成功した」と言い切れる状況にはまだまだ至っておりませんが、厳しい状況の中で会社を存続させるための新しいチャレンジにみんなで取り組み、それが実を結びつつある状況は、社員一人ひとりの大きな自信と経験になっております。

印刷も出版も決して一人の力だけではよいものはできません。

しかし、個々がそれぞれに「いい仕事がしたい」「いいものを生み出したい」と研究研鑽を重ねた上で、自由にアイデアを出し合い協力しながら妥協せずにあきらめずチャレンジしていく、という精神が弊社に企業風土として根付いたからこそ、このような取り組みも可能となったのだろうと思います。

そしてこれにはジャグラ作品展で二度も経済産業大臣賞をいただいたことがどれほど大きな自信となったかはいうまでもありません。

次の世代にも受け継がれるべき「DNA」としてこの企業風土をしっかりと残していかねばならないと強く思っております。

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