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ジャグラ作品展 全国最高賞を獲ったぞーーー!

日本グラフィックサービス工業会主催のジャグラ作品展(出版印刷物部門)において、応募総数117点の中から弊社の「炭都」というモノクロ作品集がなんと全国最高賞の経済産業大臣賞を受賞しました!

炭都

炭都2

炭都3

炭都4

カラー印刷が当たり前の時代に、モノクロ写真集が受賞するのはかなり異例のことだそうです。
単なるモノクロ印刷では出ない「黒の深み」を出し、素材・作品の良さを引き出すために紙、インキ、スキャン方法、画像補正、印刷濃度などあれこれ本当に苦労したことが実りました。

 

先日、その授賞式が札幌パークホテルで行われました。

札幌パークホテル

授賞式2

授賞式3

賞状楯

獲ったどー

4年前にも同じ賞をいただいていたのですが、実は今回ボクはノータッチ(笑)

社員の代表として行ってきましたが、賞をいただくのは本当にうれしいことです。

特に今回、20代の若い社員2人が頑張ってくれたことが何よりの財産です。

4年前までは社長と編集長(社長の奥さん)の2人だけで出版事業をやっていましたが、3年前に編集長が倒れ、社長もその介護で1日のうち2時間ほどしか出社できなくなり、ボクらだけで出版が本当にできるのかと不安になる時期もありました。

しかし、今回の受賞はそんな僕たちに自信と勇気を与えてくれました。

そして、今回の受賞を一番喜んでくれたのは、ほかでもない編集長でした!

 

新聞2

新聞3

新聞1

業界の各新聞にも大きく掲載されました。

最後に、業界紙に紹介された社長の文章を掲載します。

 

この度は経済産業大臣賞という栄えある賞をいただき、心より感謝申し上げます。

思い起こせば2012年の5月、それまで一度も応募したことのない作品展に絵本『ひかるもの』を出品し、図らずも今回と同じ経済産業大臣賞を頂き、社員みんなで大騒ぎしたことを昨日のことのように思い出します。

その授賞式の際に、偶然に私の隣に座られた野毛印刷の金子会長に「初めて出品したんですよ」とお話しすると、「いや、一回いただいたら何度もいただけるようになりますよ」と、思いもかけない励ましのお言葉をいただきました。そのお言葉が予言したかのように、2014年にはジャグラ会長賞をいただき、そして2年後の今回、またもや経済産業大臣賞をいただいたわけです。2012年段階でこのような状況になることをだれが予想できたでしょうか。私自身、夢想だにしませんでした。

このような弊社にとっての快挙が、なぜ起こりえたかということをあらためて考えたのですが、そこには3つの要素がありました。

1 素晴らしい素材との出合い

2 素材を最大限生かすための妥協のない探究心

3 どんなことでも自由に追及することが許される風土

以上の3つです。今回本原稿を書かせていただくことができたおかげで、この3つの要素を発見できたことは私にとってはたいへん幸運でした。改めて本欄をご提供いただきましたことを心より感謝申し上げ、本題に入りたいと思います。

 

1 素晴らしい素材との出合い

私たちの仕事はすべて、まず著者が提示する素材との出合いから始まります。それらはいい素材であったりそうでなかったりとマチマチですが、今回は幸いにも著者からいただいた写真プリントはとても素晴らしいものでした。著者はモノクロネガを一枚一枚、自分が追い求める写真を徹底的に追求しながら、ていねいにプリントに焼き付け、仕上げていったのでした。今回の経済産業大臣賞はこの優れた素材との出合いを抜きにしてはありえず、まず著者のご努力に心から敬意を表したいと思います。

さて、チーフディレクターは送付されてきたそのプリント写真を見て、ひと目でその圧倒的な写真の存在感に魅了されたようです。これは普通に印刷したのでは表現できそうもない。しかし何としてもこの素晴らしい写真たちを生かし切りたい!これは難しい仕事になる!出合った瞬間からそう思ったようです。そして決断します。デザインも印刷も、すべてをこの写真たちに命を吹き込むためにできるだけのことをしよう。このコンセプトがその後のすべての作業の統一テーマとなりました。

 

2 素材を最大限生かすための妥協のない探究心

しかし、その素材を最大限に表現しきった若い社員たちの苦闘がなければ、やはり大臣賞とは無縁のものとなっていたはずです。ここにもある偶然が幸いしています。

実はこの作品を制作している頃、偶然にも他に二つのモノクロ写真集を受注していたため、ほぼ三つを並行して作成するという状況にありました。一つは南の島々の人々との交流の古い写真集で、どこかに懐かしさと古さと温かさが要求される写真集です。もう一つは東日本大震災の際に、津波で流された家屋跡に残された、夥しい数の基礎土台だけを写した写真集です。無人の地に残され風化されていく無言の土台が語りかけるもの、その周りでなおも新しい生を営み続ける雑草や木々たちの姿を克明に表現することが求められました。

そして『炭都』です。この作品の内容はタイトルそのものでした。消えようとする石炭産業の宿命の中で、最後の日まで人生をかけて働く、黒光りする探鉱夫たちの強い意思、真っ暗な中でも紛れることのない鋭い眼光。街のすべてが石炭の黒にまみれる風景。とにかく『炭都』の名にふさわしい、匂い立つ黒をどう実現するかが要求される写真集です。

このように三種三様の表現手法が要求されるような状況で作業を進めていました。それぞれが単純なスミ一色印刷では再現できない。さりとて試作したプロセスカラーでのスミ表現ではモノクロ写真集の良さは発揮できていない。そこでさまざまな技法を駆使して3種類のモノクロ写真集の再現を試みることとなりました。

これらの技術は社外秘でもあるためすべてを書くことはできませんが、10種類以上の方法を試作したでしょうか。何種類もあるスミインキのどのインキを選択するか。どのようなスキャニング方法をとるか。どのトーンカーブを採用するか。印刷濃度はどうするか。それらを本機校正しながら取捨選択するわけですが、そういう意味では3種類のモノクロ写真集が同時期に受注していたというのはとても幸運なことでした。もちろん作業をする社員たちは大変な労力を要するわけですから幸運?となるでしょうが……。

そこで今回の『炭都』ですが、イレギュラーではありましたが、この作品では契約前にサンプルプリント写真をお預かりし、3種類程度の本機校正を試作させていただき、ご提示しました。それほどチーフディレクターはなんとしても素晴らしい作品にしたいという思いが強かったのでしょう。まだ不完全な校正試作品でしたが、この段階で著者は弊社ならば自分のイメージに近いものを実現してもらえそうだと感じられ、ご契約していただけることになったのですが、契約できない場合のリスク排除という考え方は、チーフディレクターにはまるで思い浮かばなかったようです。

その後もさまざまなインキやトーンカーブで試作を重ね、その都度本機校正を提示させていただき、今回の実行案を採用することになったのですが、この時点ではニス刷りを施すという案で意見が一致していました。より黒さを強調したいという判断でした。しかしOKは出たものの、どう考えてもニス刷りしない方が、より『炭都』にふさわしい臨場感になるはずだと考えたディレクターは、最終決定後に再度、ニス刷りとニスなしの二つの本機校正を試作し、著者に再提示することにしました。その結果著者も断然ニスなしがいいと判断され、今回の『炭都』の仕上がりとなった次第です。作品をご覧いただけるとわかると思いますが、ニスを施さなかったおかげで、紙面を触ると炭が手にまとい付きそうな、強くて深い存在感のある黒を実現することができたのではないかと思っております。

先ほど紹介しました3種類のモノクロ写真集は、結局は3作品とも全く違う基本トーンカーブを採用し、違うインキを使用し、違う印刷手法で印刷することとなりました。その中で特に『炭都』で採用しました新しいモノクロ印刷手法を、私たちは「スーパーブラック」と命名しました。この「スーパーブラック」は弊社の今後のモノクロ写真集印刷に、大きな力を発揮するものと大いに期待をしているところです。

 

3 どんなことでも自由に追及することが許される風土

このようにして今回の『炭都』が誕生したのですが、実は私はこの本が仕上がるまでは、この写真集を受注していることすら知りませんでした。そのため本原稿に書いている内容は、すべてこれら3作品に関わった社員たちに取材をして初めて分かったことばかりです。当然契約前に本機校正を出すというリスクを冒していることも知らなければ、見積額があるにもかかわらず、納得がいくまで何度でも試作していることすら知りませんでした。打ち合わせ机に、時たま色校正らしきものが何枚も置かれているのを垣間見ながら、これは何の仕事だろうと思う程度であったのです。これは先ほど書いた3作品すべてにおいて同じことが起こっていました。担当者は自分が納得できないからやるしかないと思っているのです。

それは一人ではできません。色補正担当がいて、製版担当がいて、印刷オペレータがいて、プリンティング・ディレクターがいて、チーフディレクターがいる。この作品に関わった20代から30代の若い社員たちすべてが、何の疑問も持たず膨大な時間をかけて、妥協することなく求めるものを追求しているのです。いや疑問を持っている者も中にはいたかもしれません。しかしああでもないこうでもないと相談しながら、やっぱりこれも試作しようとなれば納得して作業するわけです。

この姿勢は2012年の経済産業大臣賞受賞の『ひかるもの』の時も全く同じでした。通常印刷ではどうしても『ひかるもの』が光らないのに困った担当者たちが、勝手に新方式で印刷することを著者に提案したわけです。当初著者は「勝手にそんなことをされるのは迷惑だなあ、とにかく早く仕上げてほしいのに」と思ったと後日談で語られたと聞きました。

弊社はこのような自由な行動を禁止することはありません。みんなが勝手にやればとんでもないことになるのではないかといぶかしく思われるかもしれませんが、私はそうならないと思っております。

植木の世界には「桜切るバカ梅切らぬバカ」という言葉があるそうです。桜の木は枝を切らずに育てる方が美しい花が咲き、梅の木は枝を切って育てる方が美しい花が咲くことから生まれた言葉です。そのため梅の木は盆栽に向いており、また小さくまとまったものが多く、逆に桜といえば、日本中に見事な大樹が多いのはこのためなのです。

会社としてきれいな形の盆栽型の社員を求めるか、大樹になる社員を求めるかですが、私はできれば社員がそれぞれ大樹に育ってくれることを願っています。そのためできるだけ自由にさせるようにしているわけです。

また、およそ何のために仕事をするかという原点から考えてみても明らかではないでしょうか。それは幸せになるために仕事をするのです。その仕事に満足することなく幸せに生きられることはありえないと思いますし、幸せに生きられない者が人を幸せにできるとも思えないのです。何のために生きるかと聞かれれば、その最大のものは幸せになるために生きると答えるしかないと思うのです。であるならば「自由に仕事をする」ということは、幸せになるためのとても大きなカギであると思うのです。

弊社にはこの「自由に仕事をする」という風土があると思っています。どれくらい実現できているかどうかは別にして、その精神は風土として根付いているのではないかと考えています。これを一般的には社風というのでしょうが、私は社風というニュアンスは、もう少し軽いもののように感じています。会社風土ですから社風には違いないのですが、私は風土という言葉が一番ふさわしいと思っているのです。

すべての会社は、できるだけ継続して存在していくことを念願しています。私も弊社がそうなればいいと念願しておりますが、とすれば必ず在社する社員は変遷していきます。その変遷の中でも、この風土は変わることなく存在していってほしいと強く思うばかりです。

 

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